カウンセリングに通っているひと
カウンセリングを受けている。
人生で二人目のカウンセラーだ。
自分にとってのはじめてのカウンセラーは、昨年2018年の10月に失踪したので、今年の、つまり2019年5月にやっと次のカウンセラーが見つかった。田舎でカウンセラーを見つけるのは難しい。
カウンセラーというのは、一人目の人もそうだったが、わりと話し方がゆっくりしていて、彼らなりのシナリオ(療法)にのっとって話しているんだろうな、というのが分かる。彼ら側の勉強をしたことはないので、憶測だが。
新しいカウンセラーにはまだ二回しか会ったことがない。カウンセラーとしての有能さを判断することはまだできない。
ただ、これは一人目のカウンセラーの時にも思ったのだが、自分は彼らの話の展開のさせ方、これからするであろう質問、こちらに求められている答え、だいたいすべて予測できてしまう。彼らと話していて、目新しいことはない。
一人目のカウンセラーとカウンセリングをしている時、自分には「復職するかどうか」という大きな課題があった。それを解決するためにカウンセリングに通っていた。
だが、カウンセラーからの劇的なアドバイスはなく、効果的な提案があったわけでもなく、自分から「復職するならそろそろ準備しないとまずいですよね?」と言った。カウンセラーは「そうだね」と肯定した気がする。
そうして復職準備を進めているうちに、彼は失踪したわけだが。
今のカウンセラーは、失踪したカウンセラーとはまた別の学派?なんだろう。めちゃくちゃ細かい字でめちゃくちゃメモを取っている。
自分は、話しながら、彼女のメモを取るつむじを見ながら、この人は何を考えて今この瞬間仕事をしているんだろう、と思う。
なるべく丁寧に、ゆっくりと、客観的に、患者(つまり私)に決定的な言葉を投げかけないように、話す単語を選んでいる。そういうルールのゲームらしい。
「あなたはすごく周りに気を遣って縮こまっているように感じられますね」
と、彼女は言う。
まあ、だいたいの人間がそうだろう。程度の問題だ。
程度が酷いのでカウンセリングに来ているのであって、そんなことを指摘されてもなぁと思いながら、自分はカウンセラーの斜め後ろを見ている。
これまで不登校になったことはありません。
学生時代のバイトも続いたし、虐待も恐らく受けていません。
いじめは受けていたような気もするけど、一瞬だったし、本人に自覚はあまりありません。
どうして仕事に行けなくなったのか。分からないんです。ただ、他人が怖くなった。
先生たちには、いろいろなことを話しましたが、話していないことも沢山あります。
べつに、カウンセリングでは話したくないことは話さなくてもいい。
自分とカウンセラーは、その核になる暗闇を取り囲んでぐるぐると回るような会話を続けている。
自分のことを自分の友達に例えて打ち明けるシーンがある。フィクションでたまに見るやつだ。
「先生。僕の友達が、親しい友達を自殺で亡くしました。友達はすごく悲しんで、でもその悲しみはひとまず置いておいて、簡潔に彼らの仲間にそのことを報告するんです。けど、」
僕の友達以外に、その親友の死を悼む人間はいないんです。
きっと僕が死んでもそうでしょう。
例えば僕が今夜自殺して、SNS(グループLINE)にそのことがシェアされます。既読はつくけれど、誰もメンションはしません。
そうしてその三か月後、そのSNSには他の参加者の結婚報告が掲載され、皆が祝福します。
先生、
そこのあなた、
代わりに来たあなた。
こっちを見ろ。
許せるか?
僕は許せない。
人が消え、
そのことが無視され、
カウンセリングは続く。
あなたはそのことも知らずにメモを取る。
自分は、いま生きている人間を、ひとり残らず許せない。