コーヒーゼリーとブラックコーヒー

コーヒーが好きでコーヒーゼリーも好きだ。

そのどちらも明確に好きになった時のことを覚えている。

コーヒーゼリーは9歳くらいの頃だった。一緒に住んでいない方の祖母、つまり母方の祖母は、たまに私を買い物に連れて行ってくれた。とはいっても田舎なので本当にただの買い物、スーパーへの食品の買い出しだ。私の両親は美容師をやっていて、土日家にいることはなく、私は親と遊びに行くということが日常的には不可能な子供だった。

そんな私を不憫に思ってか、母方の祖母はたまに私をそうして買い物に連れて行ってくれた。一緒に住んでいたはずの(そして今も一緒に住んでいる)父方の祖母と遊んでもらった記憶はない。

祖母は買い物に行くとたいてい私にお菓子を買ってくれた。

でも確か、私がコーヒーゼリーを始めて食べたのは、私がそれを選んだからではなかったはずだ。みっつでひとパックになったコーヒーゼリー、あのうちのひとつを祖母は私にひとつくれた。

スーパーの駐車場で、小さな軽自動車の運転席と助手席で私と祖母はそれを食べた。祖母はせっかちなのかなんなのか、缶コーヒーを買ってもその場で飲みほし、自販機の隣のゴミ箱に空き缶をすぐ捨てる人だ。アイスも「溶けるから」と買ってすぐに車の中で食べだす人だった。

食べ物とは、食卓について食べるものだった私にとって、車の中で別添えのコーヒーフレッシュをこぼさないように開けて慎重に食べるコーヒーゼリーは特別だった。缶コーヒーは苦かったけれど、コーヒーゼリーはどういうわけか甘かったし、美味しかった。

 

さて、父方の祖母のいる実家では、子供がコーヒーを飲むことは禁止だった。大学生になって家を出るまで、コーヒー(砂糖・牛乳入りのほとんどコーヒー牛乳)を飲んでいるとあまりいい顔をされなかった。いわく、コーヒーを飲むと脳が溶けるらしい。コーヒー好きで、コーヒーを作ることを他人に強要することが大好きな父方の祖母の脳は、確かにずっと溶けている。

コーヒーは苦い。苦いけれど、好きな人は多い。なんならブラックで飲んでいる人もいるくらいだ。それに、あの美味しいコーヒーゼリーの素になっているのだから、コーヒーも美味しいんだろう。

なんとなくそう思っていた大学一年生の頃、友達に「コーヒーが美味しい店を見つけた」と言われた。私はコーヒーゼリーが好きだし、コーヒーのことも好きになりたかったけれど、なによりその友達のことが好きだった。

案内されたのは静岡駅前の繁華街、そのうちのどれかの店で、名前も覚えていない。

ご飯を食べて、食後にブラックコーヒーをお願いした。

出てきたのはすっと縦長のグラスに黒いストロー。ブラックコーヒーなのだから、特にビジュアルに変哲はない。

ただ、飲んでみて、苦くない、と思った。

薄かったのかもしれない。

酸味があって、爽やかで、果物のような甘みがあるようだった。

「美味しいやろ?」

たまたま私と一緒の高校で、たまたま同じ静岡の大学に進学した彼女はそう言ってにっこり笑った。彼女にはきちんとイエスともノーとも言うことができる。

私は「美味しい」と言った。本当に美味しかった。祖母に隠れて作り、飲んだインスタントコーヒーよりよほど。